昭和47年11月01日 月次祭
合楽の教会で、皆さんがおかげを受けておる。しかも本当に目を見張る様なと言うと、あれでしょうけれども、言うなら不思議なおかげを頂いておる。もうそれは本当に不思議なおかげを頂いておる。一昨日なんかは私朝から何か胸が詰まるような、わびしいと言うか悲しいと言うか、もう朝からそんな気分でした。本当にお互いが信心をさせて頂いておるけれど本当の信心をどの程度に頂いておるであろうか。
本当の信心と言うのは水にも流されない。火にも焼けないというのが信心だと言われております。それにちょっと水が出りゃ押し流され、ちょっと火が出りゃ焼けてしまうと云う様な信心では本当に情けない話であります。いわゆるそれは信心とは言えない。信心とは水にも流されなければ、火にも焼けない程しのものを信心。信ずる心神様を信ずる心と云う物がそれだけの、確かなものになって来なければ信心とは言えないと。
そう言う一日でしたが、その日お取次ぎをさせて頂く、そのものがです。もう本当に私が此処からもらい泣きをせねばならん様なお取次ぎが、ずうっと続きました五六件。もうその内容がねそう言う切ない、悲しいまた苦しい事ですから、もうその誰にでもお話が出来ないから、あのまぁ、具体的にお話が出来ませんけれども、「本当にどうするね」ち、私が言いたい様な感じ。ね。
けれどもあんた、もう兎に角、神様にお縋りするより他にゃなかじゃんねと、ね。神様にお縋りするより他にゃ無い。そしてどうするこうするじゃない。その時点時点をです。いわゆる御事柄として受けて行く以外に無いじゃないの、とまぁ言わねばならない程しの難儀なことがね、次々ともう続くもんです。一昨日なんかは朝からお医者さんのお参りがあったら、ずうっとお医者さんのお参りがありますですね。神な柄らな事だと思うんです。皆さんがこうやってお参りをしている。
参ったと思いよるけれども、やはり神様のおかげで参らされて参っておるのです。そう言うね訳で御座いましたがです、ね。その翌日はまたどうかと云うと、私はその胸が詰まる様な思いをまぁ裏に居っても、なんか落ち着かない。休んどっても眠られないそれでまぁ此処が一番良い所ですから御結界に座る。そしてあの記念祭の記念品を皆さんに頂いてもらいました「和賀心時代を作る」と云う、あのご本を読ませて頂いて半ば頃まで読ませて頂いておりましたら、もう有難うして有難うしてねどっから湧いて来るか。
もうあのお書物は編集になります頃から、もう十回とも言わん位に読んでるんです、私は。ね。けれどもまた新たなね、新たな感動が起きて来る。それは胸が切ないとか苦しいとか、悲しいとかと云うその倍にも思われる程しの感動が湧いて来る。そこでその切ない、苦しいと云う事は消えて行く。ね。そこで私はその日に参って来た人達には、皆んな申しました。私も実はね、あんたの話を聞いて居ると。
私も貰い泣きして、わんわん泣こうごとある。「信心しよってどうして、そう云う事になって来るのかね」と、言いたい程にあるのだけれども、実は、私も朝から、今日は切ない。ね。二十年間私が説きに説き、教えに教えて来た事を、皆さんがどれ程頂いておるだろうかと云う事を思うた時にです。本当に二十年がもう水の泡になった様な思いがする。ね。そう云う事に触れた時です。寂しかったり悲しかったりするんだけれども、それよりも増して、有難い物が得られる。
いわゆるあの、「和賀心時代を作る」と云うご本は私の出生の前後から、今日の「和賀心時代を作る」と云う信心の時代に、移り変わりが、まぁざぁっとではありますけれども、お話がしてある。他に別にどうと云う事はないのですけれども、あれを読ませて頂いておると、そう云う感動が湧いて来る。だからね、あんたも帰ってから、是ば頂た所がそれで、あれば読みなさいと云うて、みんなに申しました。そこから新たなものが生まれて来る。新たな喜びが湧いて来る。
それがおかげを頂く元だと言うて、お取次ぎさせて頂きましたが、昨日はまぁそう云う人達が、皆んなおい出て来たんですよ。もうそれもねもう九分九厘、駄目だと云うのが皆んな、手の平を返す様なおかげだったんです。もうそら驚いてしまいました。信心のいわば、そう云うおかげ云う物がどう言う所から、そう云うおかげになって来るのだろうか。合楽の方達はそう云う、ぎりぎりの時にです。いよいよもう親先生の前に、両手を上げるより他に、仕方がない。
そこで、親先生が、右向けと仰ら、右。左向けと仰ら、左を向くと云う様な稽古が出来ておると云う事は、それを、親先生任せ。神様任せと云う事は、親先生任せだ。船は帆任せ風任せ。ね。それこそ、自分は、あの港に着こうと思うておったのに、風任せの信心させて頂いておったら、神様任せの信心させて頂いておったら、ね。それこそ自分が、夢にも思わなかった様な港に着いておると云う事が、合楽の信心の、ある意味での特異性と云うても良かろうと思うのです。
是はもう、二十年も前でしたか。もうそれこそもう哀れなお届けが御座いました。ね。そしたらね、あの、因幡の白兎の御理解を頂きました。まぁだ大黒様が部屋隅の頃、お兄様達のお供をして、因幡の国を旅行なさった。お兄様達はもう身軽にさっさと行かれるけれども、お兄様達のお荷物を一杯担いで、ね。そして道を遅れておられた。所が一匹のもうそれこそ、丸裸になった様な兎が出てきて、助けを求めた。「どうしたのか」と、ね。苦しい事がある。前に行かれた神様達の、ね。お兄様達の話を聞いて、ね。
「塩の水で体を洗え」と言われたから、塩の水に浸かったら、いよいよ、苦しゅうなったと云う訴えなんです。「大体、どうして、そんな丸裸にされたのか。」実は、私は、こう云う、向こうの島に住んでおったので御座いますけど、ある日、ね。この島に渡ってみたいと思うた。船は無し、泳ぎは出来ない。何とかして、あの島に渡りたいと思おうておったら、幸い、そこの波打ち際に、さめがやってきた。
そこでさめに一計をもってです。「さめ君、君達の仲間と、私達の仲間が、どちらが数が多いか、一つ数比べをして見ようじゃないか」「良かろう」と云うのでさめは自分達の仲間を沢山集めてきた。「それじゃ、この島から、向こうの島へ一列になれ」「そして、その数を私が読んで歩くから」と、さめはその通りにさせて頂きますと、兎はその上を一匹、二匹、三匹と数えて島に移った。そしてその移った途端にです。「お前達は馬鹿じゃなぁ実は私はこの島に移りたかったのだ」と言った。
そこで一番終いにおったさめがその兎を捕まえて、そしていわゆる赤裸にしてしもうたとこう云う。皮を剥れたのです。ね。お互いが難儀難儀と申しますけれども、決して偶然と言った様な難儀があるはずはありません。その難儀な思いとか難儀な苦しみと云う物はです。それこそ身の端がはがれる程しの、云うなら苦しみなら、そう云う赤裸にされなければならない元がですあるのです。
そこで大黒様はその事を、懇々と言い聞かせられた。ね。そして真清水で身体を洗う様に、がまの穂を敷いて、その上に休めと教えられたら楽になったと云うお話しなんです。ね。その当時、あの大黒様のお知らせを、私の事を大黒様という表現で下さっておった。その当時は、まぁだ打ち出の小槌は持たんけれども、大きな荷物を持って難儀なこっっちゃの時分であった。ね。段々おかげを頂いて本当に皆さんが、その大黒様任せにならせて頂くと云う信心が、段々そう云う信心の度胸が出来た。
愈々と云う時には、皆さんの合楽の方達の場合は、もう愈々の時には親先生はなんと仰るか、親先生の仰る通りするより他には無い。他は我が良かごとしとったっちゃその時だけは、親先生任せと云う信心が、合楽の方達は出来ておる。是はもう見事です所謂昨日一昨日私がお取次ぎさせて頂いた、本当にです私ももう一緒に貰い泣きしたい程しの難儀な問題がです。その翌日は手の平を反す様なおかげになっておると云う事は、大黒様任せになったと言う事が、そう云うおかげを呼んでおる訳であります。ね。
お互いがね、その大黒様任せにならせて頂いて、そして大黒様が受けておる様な、おかげを大体頂かせて頂くと云う事が、私は此処の信心じゃないかとこう思うのですね。先日からご本部お礼参拝させて頂きました。御本部参拝から初めて山陰の方へ、私は始めて参りました。大山あの雪スキーで有名な。そりゃもう大変な素晴らしい所です。一遍本当に御本部参拝した帰りに、あちらにこうバスでも良いから一遍回りたい。皆さんも一緒に回りたいと思う程しに素晴らしいとこであった。
それからあの出雲へ参りました。それで出雲の大黒様と初めて対面を致しました。それはもう私はですね、あの玉造と云う温泉に泊まらせて頂いて、朝方ねその清水寺の観音様それから何処どこ神社、それから出雲大社に参りましたらね。もうそれこそあのその神様やら仏様がね、みんな私の枕元に立たれてからお礼に来られたです。生きた働きを無くしてしまっておられる。ね。言うならば例えばお寺さんの中に、料亭が何軒もあって精進料理でそのお寺が立っておると言った様な。
大黒様のほんなら出雲神社であっても、お守り札を売って初めてあの大きな神社が立っておると云う。こう云う軸もその時に頂いたその時、八人参りましたが、私のお土産を下さったのと同じにこう云う軸をね、皆さんも買われた良い軸でしょう。先ほど正義先生が、あの丁度お祭りの前に、もうけたたましい事でしたけれども、後からで良いですから、ゆっくり、何か此処に賛を書いて来るとこう云う訳です。んにゃ私は後から書きよると、よう出来んで、もう忙しかったっちゃ頼まれた時、今書かにゃ出来ん。
私は本当にそうです。後からゆっくりどん書きよると、何枚書いたっちゃ汚れよごれ出来んですよ。やっぱ神様のおかげでなからにゃ出来ん。ほんならちょっとまぁ待ちなさいと云うて、その場で書かせて頂いたのが是なんです。ね。
「福神をこの家の内に祭りなば、家に宝の尽くる事無し」と云う。是はね四神金光様が、小倉の桂松平先生が、九州の地に初めてお出でられる時に、ね。福神をお供して行くのぞと、福神とは教祖金光大神の事を指しておられた。「福神をお供して行くのぞ」と。ね。それこそ寒村と言われた、まぁだ漁師町と言われた小倉の地を、ね。大きな町にしげ行くのぞとも仰った。ね。当時の小倉と言う所は、大変寂しい所であった。それが福神をお供されて九州中に、こう云う有難い道が開けたと云うのです。
その時のお歌を私が此処へ書かせて頂いた。ね。そしてすぐ御霊様への御挨拶をさせて頂いておりましたら、此の軸をもう重ねて、重ねて御神願に頂くんです。大黒様がご飯を頂こうとして御座るとこやら、様々な姿態でですね。でやっぱこの大黒様。ね。大黒様が、ままになりなさると云う意味でしょうか。ね。そこでですほんなら、この軸を掛ければ、ね。福神をほんなら自分の家にお祭りすれば、金光様をお祭りすれば家に宝の尽くる事無しと云うのではなくてです。
この大黒様の言う事を聞かせて頂いて、何時も和賀心何時もにこやかな生活をさせて頂く所に、家に宝の尽くる事無いと云うおかげが受けられるのです。ニコニコですよ、ニヤニヤじゃいかんとです、ね。そこでです、ね。そんならば私共がね自分の都合の良い時ばっかりならば、ニコニコ出来るので御座いますけれども、自分に都合の悪い時または、苦しい時悲しい時にもです。心の底にはにこやかにしておれれると云う事。それを有難いと云う心だと私は思うのです。ね。
何時か秋永先生が大変な難儀な、もうそれこそもう本当に、何時も溜息が出る様な難儀な問題に直面しておった時にです、ね。発表された事がある。ね。こう云う修行を神様がさせ御座るが、この後に神様が、どげなおかげば下さると思い御座るじゃろかと思うたら、心の底でにやっとにやっとじゃないね。にこっとでしょう、ね。にこっとする様な物があると云う、何時か発表した事がありますよね。それなんです。
それを私がまたお願いさせてもらいよりましたら、あのなすびのねあのイガと、なすびをこうはずして見せて下さった御神願に。こらまた先の霊神様にご挨拶申し上げる時です。ね。「一富士、二鷹、三なすび」と云う、ね。是はこう云う夢を見ると、大変縁起が良いと云う。ね。だから三なすびと云う物も、あれはこの三つの、富士山と云うのは、あれは、曽我兄弟が、ね。父の敵工藤祐経を討ち取ったと云うのが、富士の裾野である。だから一富士である。
二鷹と云うのは、忠臣蔵で有名な、大石内蔵助の紋所がそれである。鷹の羽の、ね。違い鷹の羽である。ね。三なすびと云うのは、ね。荒木又右衛門が、ね。何十人切りですかね。弟、数馬の助太刀をさせて頂きますね。そして、伊賀越えと言う所で、その願いが成就したと云う、そう云う、日本の三大敵討ちと云う。云うならば念願心眼が叶うた、成就したと云う事なんです。大体はそうなんです。
けども此処でなすびのお知らせを頂くと、紫。これは安心と云うお知らせである。そこで平穏無事である時にです、なぁにもない時に安心しておるだったら、ほんな安心じゃないです。もうそれこそ心が詰まる様な心配事、ね。それこそ悲しゅうしてたまらんと云う様な時、ね。もう本当に歯がゆうして腹が立ってたまらんと言う様な時、そう云うそれこそじがじが、いらいらする様な時になる所の、なすびのおかげを頂いた時こそが、本当の安心だと云う事なんです。
普通安心のおかげを頂いております。なぁんでもない時は、誰でも安心のごたるけれども、それは安心のごたる。なんかこう一度起こって来るともぅ、うろちょろせんならん。私共が信心させて頂いてです、問題があります。ね。胸が詰まる様な思いをする事があります。もう胸がさばけない程しに、ね。言う様な時があります。けれどもお取次ぎを頂いて、お願いをさせて頂くとですね。お取次ぎを頂いてお願いをさせて頂くと、心がすきっとするでしょう。あれが安心なんです。
またはどうにも出来ない。じがじがいがいが、それこそいがいがする時にです。御神前にゆっくり御祈念でもさせて頂いておると、心の中が豊かになり、日頃の教えが甦えって来てはぁこりゃ反対に、お礼を申し上げねばならない事であったと分からせてもらう。ね。そう云ういがいが、じがじがを超えてなると云うのが、なすびのお知らせ。それが安心なんです。それが、にこやかなのです。ね。
どんなに悲しい時でも、苦しい時でも、腹の立つ時でも、じがじが、いらいらする様な時でも、心を神様に向けさせて頂くと云う事がです、火にも焼けなければ、水にも流されないで済むおかげが、其処から生まれて来る。心が安らいで来る。それを私は今日の御教えから頂くと、安心のおかげだとこぅ思う。平穏無事の時に安心なのは、それは、安心感と云う様な物であって、本当の安心ではない。
もうそれこそ、まぁ、血の涙が流れる程しの難儀のなかにあっても、秋永先生じゃないけれども、神様は、こう云う修行をさせてござるが、この後には、どげな神様が、おかげを下さろう、力を下さろうと思うてござるじゃろかと思うたら、にこっと出来ると云う、その心が安心です。その心が和賀心なんです。平穏無事の時に、何時つも和賀心でおれれると云う事。ね。
と云う事はです、和らぎ喜ぶ心である様にありますけれども、それは本当の、和らぎ喜ぶ心ではなくて、普通から言うたら、難儀を目の前にさせて頂いて、本当言うたら、目の前が真っ黒なる様な事が起こっておる時にでもです。心にゆとりを頂かせてもらう心こそが、安心であり、和らぎ喜ぶ心であると云う事なのです。ね。そう云うにこやかな私共そう云う、にこやかな心で、神様に打ち向かう所に、そう云う神様を祭りなば、家に宝の尽くる事無しと云うおかげが受けられるのであります。
大黒様ば祭りさえすれば、ね。運が直って来ると云うのじゃない。それを拝む、私共の心自体が、にこやかであると云う事がおかげ。何時も鏡を見なければいけません。情けない顔をしとらんか、腹をかいた顔をしとらんか、ね。そう云う時には、やはり、先ず心を、神様に打ち向けさせて貰うて、日頃の教えの、いや兎に角あの和賀心時代を作ると云う、あのご本を読んでください。ね。繰り返しお読み下さい。もう、必ず、心の中におかげが受けられます。湧いて来るのです。ね。
それとは違った意味の喜びが湧いて来るのです。その事は苦しいのです。叩かれれば痛いです。けれども、痛いけれども有難いと云う物が、お腹の中に頂けて来るのです。今朝からの御理解頂きましても、ね。もう、生きた神様なんだから。生きてござるから、何時も同じ事は絶対無い。そこで、問題は何時もある。その問題がです、ね。云うなら、合楽の場合には、何時もそう云う何か問題を、何時もはらんでおる。
そこを信心で受けて行くから、十月十日すると、必ずそれが、安産のおかげになり、思いも掛けない所のおかげが生み出されて来るのです。問題がある、難儀がある。その難儀ば取り除きたい、取り除きたいと云う事は、もうそれは何て言うですか、あの堕胎する様なもんです。ね。だからちっとは苦しい。ね。それはつわりもあれば、やっぱ身重になってくれば苦しいのですけれども、それをじっと辛抱させて頂いて、和賀心で受けて行く、元気な心で受けて行くと云う生き方。
そう云う生き方を身に着けて行く時に、時節が来る。ね。十月十日、そこに生み出されて来る物がです、こう云うおかげを下さる事のために、そう云う問題もはらんでおったんだと云う事なのです。ね。そう云う時に私どもは、どうにも出来ない。やはり右にして良いやら、左にして良いやら分からん。この苦しい問題を御結界に持って来る。そこからそれは親先生任せと言う事になる時にです、ね。任せる気が起こった時にすでにもう、心の中は安らいでおる。安らいでおるからおかげになるのです。ね。
問題をはらんでおると云う事は素晴らしい事なんですから。それが流産にならん様に、それをおかげ頂いていかなければなりません。ね。そう云う意味で合楽の方達は、この点をいわば修行させて頂いて、いよいよの時には、親先生任せと云う信心度胸が出来ておる。そこでです私共は合楽に欠けておるもの、ね。そこの所を私は勉強しなければならんと思う。合楽に欠けておると云う物は、どう云う事だろうか。ね。欠けておったんでは、おかげもやはり欠けて来る。
今日は三井教会親教会ですね。親教会の月次祭にあわせて、納骨式が行われました。まぁだ一年後に仕えられる親先生の式年祭が行われますのに、もうその準備委員会の方達は一生懸命、そしてまず奥城の周囲からと云う事で御座いました。合楽も本当にいち早くおかげを頂きました。おかげで今日参りましたらもう、見事にそれが出来上がっておりました。中が全部総檜作りでした。中がそして全部こういきなりおいてあったのが、一軒一人の御霊様の所が、ずうっとこぅ一軒一軒扉が付いておる。
真ん中にはシャンデリアが点いておる。もう本当に素晴らしいと思いました。ほらもう、そら合楽の場合はですね、もう本当にもうその、例えば五年祭と云う様な記念祭の、大変な事になって来ても一月か、二月かしなければ、ばたばたしないでしょうが。もう一年前に、親先生の式年祭がです。もう準備委員会が出来たらもう、早速そう云う働きが出来ておるです。是は私は親教会の親先生自身が、あぁいうきちっとしたお方だから、まぁきちっとした、そう云うおかげを頂かれるのだと思いましたけれども、ね。
そして今日は、もうひとつ、驚いた事がありました。今日も、月次祭に、五十名ぐらい、やっぱ、お参りがあってます。生き生きとしたおかげを頂いておられます。ね。それで、岸先生があの、発表しておりましたが、今度の御本部参拝が、なんと、百四十一名、申込金が収まったと云うております。ほうもう例えば三井教会が百四十一名、信者の数から言うたら、五百名は出来にゃいけんですね合楽は。ね。
それで帰ってから、私は博光先生に聞きました。「何人だん集まっとるの」ち言うたら、「一人も集まっとらん」ち言う。はっは本当に此処ん所をですね、皆んながそら合楽は、そら合楽の流儀じゃと言わずにです。でなかったら結局ありもしない金から、二十万円、先日も納めんなりませんから、二百名申し込んでありますから、二百名のは教会から立て替えて払ってあります。ね。
「よかよか、もう教会がもっちょるけん」ち言う様なこつかどうか、知らんけれどもです。その合楽のよかよか主義がです。もう私は合楽の一番、おかげを頂けない。愈々の時に例えば水に流されたり、火に焼けたりするのはそう云うだらしの無い信心が、そう云う事になってくるのじゃなかろうか。ただ愈々まさかの時に、親先生任せになると言う、信心は出来ておる様ですけれども。
そう云う面が出来ていないと云う事です。私は本当にそりばってん驚きました。あれだけ月次祭の時に、まぁ色んな会合の時に言っとるのですから、もう五十人百人は出来とると思いよった。所が一人もまだ申込金を納めてないけれども、もう日にちが来たから、ね。教会のお下がりから借りさせて頂いて、二十万円納めたとこう言うのです。こら本当にね私共はもうこう言う所をね、あの本気で、欠けておる所を努めさせて頂く精進が、そしたらもう愈々鬼に金棒だと思うのです。ね。
そうした時に私は本当な意味で、私の祈り願いである所の日本一の、私は教会を目指す日本一に有難い先生になりたい。そんなら日本一の有難い先生の所で、日本一に有難い信者さん方に、皆さんがなって頂かねばならん。ね。その為にはです。例えば欠けておる所を私共は、ね。実意丁寧神信心を口癖の様に言うておる私共がです。こう云う実意の無い事で良いだろうか。ね。
今日其の事を私光昭と二人で参りまして、二人で話して帰りました。本当に最近の三井教会は、生き生きして来たねて。結局若先生がもう一生懸命です今。だからもうお広前の雰囲気が全然変わっている。年配もやはり若先生年配の方達が、もう見知らん方達が多いです。ね。是はまぁ結局私共の信心が、もう一段とです進められなければならないと云う事なんですけれども、熱意もさる事ながらです、ね。私共の信心に欠けておる。欠けておるもの。是を私共は、ね。
満たして行く所の修行が必要ではないだろうかと、帰りがけしみじみ感じて帰りました。ね。今日私皆さんにね。いわゆる福神を祭れば、家に宝の尽くる事の無い程しのおかげが受けられると云う話を聞いて頂いたがですね。成程親先生任せになって、丸裸でもう本当に、じがじが苦しゅうてたまらんと云う時にです。大黒様の言う通りにすれば、おかげを頂くのだけれども、そう云うおかげだけではなくてね。本当に大黒様が受けて御座る所のね。必要なものが必要に応じて頂ける程しのね。
福神を祭れば、本当に宝の尽くる事の無い程しのおかげを頂く為にです。私共は愈々精進させて頂く所の焦点、目的と云う物をですね。今日は皆さんに聞いて頂いてので御座います。今日三井教会で聞かせて頂いたんですけれども、あちらに渕上先生と云う総代さんがおられます。あちらのお母さんは福岡一番の長寿で、百五歳と十二日。今日亡くなられた。何か喉にちょっと詰まってですね。それからあのまぁ明日が告別式と云う事ですけれども、もうこのお婆ちゃんのお話を聞きますとですね。
今日もその話をしておられましたが、もう不平と云う事が無かった。不足と云う事が無かった。そら二度の嫁さん達が亡くなられましたから、中々元気もんですよ嫁さん達が。けれども嫁の不足てんなんてん、是から先も無かった。ね。こら本当に私共が知っておりますから、あの、そう云う方でした。がですそう云う長生きの言うなら元を作る様にです。私共は、心に不平不足を持たない。何時も心がにこやかであると云う事がです。そう云う心で福神に向かう金光様に向かわして頂く時に。
健康もさる事ながら長生きもさる事ながら、ね。家に宝の尽くる事の無い所のおかげが受けられる信心。そう言う所をほんなら大黒様任せになると云う信心は、潔いまでに皆さん出来ておる様に思うのですけれども、ね。それだけではいけん。私共の信心性格に欠けておるもの。それがです私は親教会を手本にしなければならない、見本にしなければならないと云う事を、今日は聞いて頂いたので御座います。どうぞひとつ本気でね、あの欠けておる所に取り組んで愈々円満なおかげを頂きたいと思うの御座います。
どうぞよろしくお願い致します。